0423

 今日はおおよそ10日ぶりの休日だった。  

 カーテンを閉め切った暗い部屋の中で小川洋子の『原稿零枚日記』を読んだ。そうして昼過ぎまで過ごしていた。その後お風呂に入ろうと、何日前の朝からベランダに干しっぱなしのバスタオルを取りにカーテンを開けたら、晴れ空の元に茹でたてブロッコリーみたいに眩しい緑の山々が眼前に見えた。桜が散っていても学校ではキリシマツツジが絢爛としていて、帰り道には完全なる球体を体現しているがごとく怖いくらいまんまるいオトメツバキが咲いている。桜に代わる彩になんとなあくまだ春は続いていると思っていたたのに、今になってようやくとっくのとうに春は終わっていたのだと確信した。

今年の春は、留年したわたしは何者にもなれずにくすぶっている中、同期のほとんどは就職し、母は定年退職した。なにより甥っ子が小学生になった。

正直、甥っ子が小学生になったということについて、わたしは何とも思っていない。おおきくなったなあなどという甥っ子の成長を喜ぶ類の感情すら抱いていない。それよりか親戚の中で唯一甥っ子がわたしと同じ小学校に入学したことのみ感動している。というのも、わたしが小学生だった頃から生徒数が少なくいつか隣町の小学校と統合されると街じゅうから噂されていた小学校が今日までよくぞ耐えてくれたっ、えらいっ、と称える気持ちがあるだけで、甥っ子のことは、やっぱり、とくに、なんとも。

嫌いという訳ではないが正直子どもって苦手だ。夜の電灯に群がる小さい虫さながら興味の対象へ向かって夢中になって突っ走ってしまう、子どもという生態が視界に入る度ひやひやする。ここ1か月以内だけでもそんな子どもの走光性にぞっとする体験をした。

日が落ちきった頃に公園を歩いていると、補助輪付きの自転車をこいでいた子どもがわたしを追い抜かした。何かに導かれているかのようにぐんぐんまっすぐ進み、ちいちゃくなった子どもの影は心許ない電灯が連なる薄暗い山道へと消えてった。

買い物から帰っている途中、歩行者用の信号が緑になったのにもかかわらず横断歩道を突っ切ろうとする車がいても、例によって緑の光にしか目が行かない子どもが、三輪車のペダルを踏んで横断歩道を渡ろうとしていた。

補助付き自転車の子にはもしかしたらその山道の先に自宅があるのではと何も関与しなかったが(しかしその子を見た後からしばらくの間誘拐や迷子の報道が流れないか不安で仕方なかった)、三輪車の子に関してはいくら子どもが苦手なわたしでも後輪の泥除けを掴んで止めた。三輪車が予期せず停止したことに戸惑っていたその子は、振り返るなり原因はわたしであると気づく。なぜわたしという見知らぬ人間に邪魔されなきゃならんのか、理解が行かずに泣いてしまった。一方、わたしもわたしで、その子の背後をビュン、と過ぎてった車の音が家に帰ってもなお脳内リピート再生され、車に比べて小さすぎる子どものからだが吹っ飛ぶ姿が映り、泣いた。

子どもの、自分の命に対する奔放さが怖い。 甥っ子は、わたしが小学生だったころと同じく、小学生のみで登校班をつくって歩いて登校すると聞いたが大丈夫なのだろうか。外の世界はいかに危険に満ちているかってことは小学校に上がれば交通安全教室なんちゃらで習うのだろうけれど、甥っ子は、その他の子どもたちはちゃんと自分事として真面目に捉えるだろうか。

少なくともわたしはそうじゃなかったからなおさら心配だ。横断歩道なんて左右確認しなくても、なんなら赤信号で渡ってしまったって危険ではないくらいに車の通りが少なかった。交通安全教室では、講師としてやって来た婦警さんがグラウンドの真ん中に置いた人形に向かってパトカーを走らせ、衝突した際にどれだけ人形がふっ飛ぶかを検証し事故の怖さを知るという企画で、人形は車とぶつかった時の音だけ一人前だったのに、音もなく地面に落ちたさまがシュールだったので一緒に見ていた友だちとふふっと笑った記憶がある。気づいた婦警さんに「何が面白いのか」と本気で怒られている時でも、喉が渇いているのか知らんが口元から泡が見えていてきもちわるいな、と終始不真面目な態度でいた。(三輪車の子の件で、結局その子は車にはねられずに済んだはずなのに、子どもが宙に吹っ飛ぶという実際に見たことが無い映像が脳内に映ったのはたぶんこの交通安全教室の企画によるものだと思う。今思えば不真面目に受講した仇だったのだな。)

でも甥っ子は小学校に上がる前から「死」が最も懸念すべきことだと知っているらしい。毎週観ているという戦隊モノの特撮番組の影響だろうか。例えば夕飯前に「みんなに隠れてつまみぐいをしよう」と耳打ちしたとき、こないだまで「警察呼ぶよ」だったのに「死ぬよ」と言うようになった。他にも、ヒーロー戦隊の必殺技を受けたらどうなるかと言う話題だったか何だったか「こわいんよ、死ぬんよ」とわたしに教えてくれた記憶がある。

わたしが小学1年生の頃祖母が死に、初めて火葬を目の当たりにしたとき、死体とはいえ人間を焼くなんて惨い、自分も同じようなことを絶対にされたくないと思い傍にいた母に「死にたくない」とはっきり声に出したことは覚えている。以来「人はいつか死ぬ」「死ぬのが怖い」と考えるようになり、真夜中にぶつぶつと思い出しては眠れなくなった記憶がある。思えば祖母の死があったからこそ「死」について悶々とした気持ちを当時から今日まで募らせるような面倒くさい人間になってしまった。

甥っ子はどうだろう。先に述べたように「死」がこわいということはどうやら知っているらしい。でもどこか他人事のようにとらえているように思う。つまみぐいさえしなければ、悪いことさえしなければ、ヒーローの必殺技を受けさえしなければ、「死」はやってこないと考えているように思う。

甥も、補助輪付き自転車の子も、三輪車の子も、自分は死なないって信じてる、命は無限に続いていくと信じている、もしくは「死」という概念すら知らないから「終わり」が来ることすら知らないでいる。

……それってとってもいいような気がする。「死」とそれに対する畏怖も興味も憧憬も知らないまま生きてゆけたら。幾分かこころが軽くなりそな気がする。まあそんなこと言ったってひとはいつか死ぬから嫌でも「死」に直面するだろうけど、誰かひとり死んだくらいでいつまでもぐずることなくゲームみたいに「○○ が しんでしまった!」とメッセージが出るだけでその後も主人公である自分の冒険をぐんぐん進められるような人間になれたら。「死」なんて所詮は他人事で、自分には永遠に訪れない概念だと死ぬまで信じていることが出来たら。言ってしまえば死んでもなお「死」を知らないひとにとって「死」は「死」ではないから、そのひとにとって自分とは不死身の存在であることと同義になるんじゃないかな。

すっかり日付が変わって、月曜日だ。朝が来たら甥っ子は学校へ行く。果たして学校という場所を気に入ってくれたのかどうかはまだ知らないが、無事に登下校できますように。「死」を考え、恐れ、不安で眠れなくなってしまうという夜が訪れませんように。たっぷり眠って、清々しい朝を迎えて元気に学校へ行ってくれますように。暗い夜道をひとりでぐんぐん進むことも、信号を頼りきって横断歩道を飛び出すようなことも無いように、自分の命だけでも大事にしてあげられますように。

つい先日、世界的に有名なアーティストが若くして亡くなった。世界中の人々が悲しみに暮れる中、流行に疎いわたしはおそらく地球上でただひとりその日1日を朗らかに生き抜いた。既に「死」が怖くなっているわたしもわたしでうまく生きていかないとだめだね。