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こないだ始めたばかりのアルバイト先から下宿に帰るためのバスが止まるバス停までの道中にお好み焼き屋さんがある。アルバイトの終わる昼過ぎにその店の前を通ると、ふ、とソースのにおいが香る。今日、慣れ親しんでいるはずのそのにおいに生涯で初めて吐き気を催した。

食べもののにおいを嗅いで気持ち悪くなると言えばつわりだと、まずそれを疑った。そのような行為など相手がいないのでやりようがないがさみしさを極めてしまうと人間でも単為生殖が可能になるんけ、と割とまじで思っちゃった。

きちゃない話になってしまうが、わたしのからだはこの時まだ妊娠していないことが確かに証明できる周期的な生理現象が起こっていたのでつわりではない。じゃあ吐き気の原因は何じゃらほいと考えたとき、単に、生まれてからこのかた――それはもう、人間が一生の間に食べる量と匹敵するくらい――お好み焼きを食べすぎたからだろう。

わたしが物心ついたころから実家では何かにつけてお好み焼きを焼いている。

お好み焼きの作り方についての論争は全国で多々あれど、我が家では千切りしたキャベツを、フラワー小麦粉とほんだしを水に溶いた生地と混ぜて、ホットプレートで焼くというレシピが揺るぎない。キャベツを千切りにするのは広島風から。焼く前に生地と具材を一緒にしてしまうのは大阪風から。お好み焼きが好きで尚且つ平和主義の父が編みだした広島と大阪の折衷案レシピ。マヨネーズ可。ソースの二度付け可。白飯と味噌汁は無し。ホットプレートが焦げ付くので焼いている最中にソースをかけない。キャベツの千切りから調理道具の後片付けまですべて母が担い、家長である父がお好み焼きを焼く。というか、父にとってそれが楽しいからやらせてあげるだけ。

それは決まって日曜日の晩に行われる。父と母と兄と兄とわたしの家族5人が揃って食卓を囲めるのが唯一その日だけだったからだ(っけ?)。当時、フジテレビ系列で放送していたちびまるこ、サザエさん、ワンピース、こち亀を、ホットプレートの熱に汗を浮かべる父の額越しに眺めていたことを覚えている。アニメ版ワンピースはアラバスタ編に入っていて、No3がサー・クロコダイルの飼育しているバナナワニの水槽に落とされたシーン、女湯を覗いているルフィ達にナミが「幸せパンチ」するシーンで、お好みソース味の生唾を呑んだ記憶がある。

長男がひとり立ちして家族がひとり欠けても、ちびサザ亀ピースのゴールデンタイムが解体されてからも、残された家族だけで募り、この習慣を続けていた。私が小学3年生のころ、肝心の鍋奉行ならぬ鉄板奉行の父が癌で入院し、死に、それからしばらくの間慣習は一時的に途切れていたものの、いつからかははっきり覚えていないが、長男が実家に遊びに来るたびに父に代わって鉄板奉行を世襲することで再開した。今では全盛期の頃みたいに毎週行っているわけではないが、進学の為に地元を離れたわたしが実家に帰省すると、長男は自身の家族を連れて、次男は嫁を連れて、母がひとりで暮らす実家に集まり、お好み焼きを焼く。

しかしこのほどわたしはお好み焼きが食べられなくなってしまった。というか喉が、胃が、脳が、ソースの味を欲していない。においすら受け付けない。どうか、どうか勘違いしてほしくないのは、わたしはお好み焼きそのものが飽きてしまったとか嫌いになったとかでないということだ。(このことについてははっきりさせておかなければ。わたしは広島と大阪に挟まれた県に住んでいるので、双方に目を付けられてしまったら逃げようがない。)ただ、ああいう我が家の慣習にいいかげん辟易してきただけなのだ。

去年の終わりごろ。お好み焼き焼いている最中に、長男と次男がそれぞれの家族に「これが我が家の伝統だから」と笑った。その笑顔が、どうしてかわたしの眉間にぴりりときた。

話が変わるが、つい先日ひとりのアニメ監督が亡くなり、そのずっと前にはある俳優が亡くなったと報じられた。すると緊急特番とかなんちゃらとか言って彼らが活躍した作品がテレビで放送される。その度に思うことだが、故人が携わった作品を、いま、生き残ったわたしたちで見直すのはなぜなのだろう。なにかしらの意味はあるんだろうけど、理解ができない。わたしは追悼そのものの行動原理がよくわかっていない。

そのようなわたしは、兄の笑顔に対していろいろと考えてしまう。

同じように父がいなくなってからもなお、わたしたちがお好み焼きを焼き続けるのはなぜか。上述したように、父が死ぬより前に長男が家を出ることで家族がひとり欠けることがあった。しかし自立による不在と死別による不在では訳が違う。前者はもう一度参加する可能性があって後者は一切無い。それに父が主催者だ。お好み焼きを焼くことも、食べることも好きだった父の為にやっていたのだ。そんな父がいなくなった、いま、わたしたちがわざわざ家族全員集まってまでお好み焼きを焼く理由は何なのだ。

わたしには、単にお好み焼きを食べたいからではなく、何かに取りつかれたように、というよりは、何かを振り払うようにそうしているように見えている。その何かとはたぶん、残った家族がこれ以上バラバラになることなんじゃないかと思ってる。わたしたちはそれを避けるべく、元は5人家族が住んでいたはずの実家に、今現在母がひとり暮らしをしている実家に、お好み焼きを焼くことを口実として長男家と次男家、それとわたしとで実家に集う。すると元いた5人家族より人数が増え、うんと賑やかになる。それにより家族がまだバラバラになっていないこと ――所謂「家族の絆」とか「家族愛」を再確認しているつもりなのだろう。

「絆」
とか
「愛」
とか。

これを信じることも、求めることも、わたしは否定しない。ただ、わたしが、わたしの家族の中にあるこれらに対して、これらを求める家族の姿勢に対して違和感を覚えるのは、そのすべては、父の死が無ければ引き起らなかったのだろうかと言う不審感によるものだ。家族の間の「絆」も「愛」も、誰かが死ななきゃ気づかなけないものなのだろうか。死んでしまってはもう声は届かないのに、生きているうちにわたしとその誰かの間には「絆」も「愛」も確かにあったということを確認できなかったのだろうか。

我が家の「お好み焼きを焼く」という慣習は、それが出来ずにいた自分たちの積年の後悔を何とか振り払おうとする為だけに行うひとりよがりの行為だ。懺悔、なんて言わせない。贖罪、なんて言わせない。誰かが死んでしまってからではもう何もかも手遅れなのだ。父に対する追悼だとかなんとか言って「お好み焼きを焼く」という名目の乳繰り合いなんてばかばかしい。亡き父の為にいまわたしたちにできることなど何もない。できることは生き残ったわたしたちの為に、わたしたちが何かをすることだ。

”何か”とは、

まず皿洗い、

買い物てつだう、

食費のせっぱん、

食卓にマヨネーズが無いと気づいたら率先して取りに行く、

つまり母をてつだう、

我が家で最も死に近い母をねぎらう。

今の時点でわたしたち兄弟はそれが出来ていない。お好み焼きを焼く以外の行程はすべて母がまかなっている。わたしたち兄弟はそれに頼っている。兄弟は自身が男性であることにかまけて、母のてつだいは嫁にやらせている。わたしは、詳細を割愛するが家族から最も距離の遠い存在であるからという遠慮という名の言い訳を盾に、実家に帰ると自分の部屋に引きこもってる。

このまま母が死んだらわたしたちはまた後悔する。そしてようやく母のためにできることを考え、こなす。その中で「絆」と「愛」を説く。母とわたしたち兄弟の間の「絆」や「愛」など、母に頼りっぱなしでいる今日においてどこにも見当たらないのに、無いものを有るものとしてごまかしてしまう未来が見える。

それはとても残酷だってこと、わたしたち兄弟はいい加減気づいて、行動しなきゃなんない。すべては生きている間に済ませておかなきゃなんない。もうあまり時間もないようでもあるし。

繰り返さないこと。それが父への懺悔と贖罪に繋がると思うよ。

いつだったか、といってもつい最近、実家に帰ったときに母に晩ごはんは何がいいと聞かれ、お好み焼き以外がいいと言ったら、吹き出して笑っていたのを忘れられない。

自宅のトイレにおえと嘔吐いても何も出てきやしない。甘酸っぱいソースのにおいを思い出して、二度と訪れない5人の食卓の光景を想うと泣けてくる。