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財布をなくした。

気づいたのは職場に着いてから。今朝確かに財布をリュックの中に入れた記憶があったが、ない。退社後急いで帰宅して部屋中探してみたが、ない。

思えば通勤途中、ボスンっ、と明らかに足音ではない何かが落ち葉の上に落ちた音を聞いた。そのときわたしは音のした方へ一応振り向きはしたけど、まさか財布を落とすなんて考えてもみず、ボスンっ、の正体を突き止めないまま踵を返した。あーこのときちゃんと確かめてさえいれば。ちくしょうっ。

人生で初めて財布を落としたのだけど、それが発覚した瞬間のオワタ感がすごい。財布の中には現金はそれほど入れてないが、キャッシュカードとクレジットカードを入れていた。そんな大切な財布を無くしたわたしは、お金を払うこともできなければおろすこともできない一文無しになった。オワタ。

わたしの中で人生終了のお知らせアナウンスがえんえん響いているのに、目の前では通常通りに日常が過ぎていくその温度差よ。皆いつも通りの業務をこなし、わたしにも仕事が振られて、それに取り組む。心配されるのがイヤで財布を無くしたことを職場の誰にも打ち明けられなかったので、まるで一文無しではないかのように平然を装っていた。なんならン万円くらいなら何も考えずすぐに買えちゃいますけど的余裕を取り繕ったつもりだが却って不自然だったかもしれない。

帰宅後、目についたすべての物をひっくり返し、文字通り足の踏む場もなくなるほど散らかった部屋に、探しているものはどこにもないと分かった瞬間、いきていくのが嫌になった。わたしの思考はネガティブ一辺倒ゆえ悲観的に考えてしまうのはむしろそれが正常ではあるのだが、今回はトクベツ。財布の件とは別で、このごろ仕事中にわたしのそそっかしい部分が原因のミスが多発していたので、財布を紛失したことは自分の人間性を完膚なきまでに否定するのにいい一撃になった。

……思えばこのごろ妙に手元からお金が消える。まず、財布をなくした。先日はコンビニで1000円札が2枚重なっていることに気付かないまま、それを1000円だと思い込んで支払った。それより少し前に駅にて慈善団体を騙る外国人に2000円寄付したぼったくられた

おかしくね??????? お金が自分のそばから離れるときはその対価として何かしらの何かが自分のもとに届くはずではなかったか?????

大体、胡散臭い慈善団体にしつこく話しかけられようが耳を貸さず、ダッシュで逃げるなどすれば良かったのだ。お菓子を買う為だけにコンビニに行かなければよかったし、どうしてもと言うのならまず手の保湿をしっかりしてから臨むべきだった。財布だって、そういった自分の不注意による失態なのだから。自分以外の誰を責められるだろう。

したってつらいんだもん。通帳は自宅に保管してあるので銀行で下せばいいのだが、財布をなくしたのは金曜、明日明後日は銀行窓口は閉まってる。ちなみに冷蔵庫の中には味噌と冷えピタしかない。ついでに洗濯用洗剤もない。本格的に”人生詰みパズル”のピースが揃いつつあるんだもん。

しかし持つべきものは母。わたしの死亡予定日である週末、「必ず願いがひとつ叶う」ことで有名な鈴虫寺へ御守を返納する用があって上洛するらしいので相談に乗ってもらう。まず警察とカード会社に連絡すること、現住所が記載されている身分証や通帳・印鑑を財布に入れていなかったことだけでも不幸中の幸いだと喜べ、などの助言と十分すぎる補助金を頂くと、落ちこんでいたのが少しずつ平常に戻っていった。

あーもーーー~~~~いわゆる初任給が入ったばっかりだったのにな。誰かの扶助によって生かされる立場にいるのが嫌で、ひとりの力で生きていくのが10代から抱いていた夢だった。その積年の夢が初任給によってようやく果たされると思ってたのにこれだもん~~~~~~~。

ひとりで生きていく、そういう、わたしの思うおとな像になかなかなれない。とりあえず通帳はなくしていないこと、カード類は悪用されていなかったことから、ほんとうの一文無しにならずに済んだことには安心しておこう。しかしお気に入りの財布を無くしたことについての傷は今後も引きずりそう。元恋人からの贈り物だったから。二度と会えそうにない彼とわたしを繋ぐものだと、気休めにそう思っていた物だから。とうとう物まで離れてしまったのか。(何さ、はなからひとりで生きる気などないんじゃないか)