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母が突然、狂ったオウムのようにタヨウセイ、タヨウセイと言い始めた。

現役の小学校教員である母が、今後、子どもたちを指導するにあたって掲げるテーマが「多様性(を認める)」らしい。

いま自分が受け持っているクラスには、落ち着きのない子、寝坊・遅刻の常習犯、キレやすい子など課題を抱える生徒が多いが、クラスメイトや担任(わたしの母)に対して積極的に意見を言うことができるし、相手の言うことを尊重ながら聞くことができる。対して隣のクラスは静かで、消極的で、自分の意見を言わない、”無個性”の生徒が多い印象がある。つまり自分のクラスは、隣のクラスより「多様性を認める」ことができている、だからこそクラスに活気があるのでは、と母。……自分の教え子ないしは自分の教育の仕方が良いということを自慢したいのなら最初からそういえばいいのに。わざわざ「多様性を認める」なんてことばを使っちゃうのがむかつく。

「多様性を認める」以上に尊大なことばがあるだろうか。耳障りはいいかもしれないが、まるで「多様性」を容認することの是非を決める権利は初めから自分たちの手中にあるかのような言い方に腹が立つ。……母のお世話になっている小学生とはいえ、顔も知らないやつらに、わたしのアイデンティティを承認するか否かを決められてたまるか。

「多様性を認める」なんてことは、――断言してやる。人間にはできない。「多様性」に含まれるもの――それは個人のアイデンティティだとして、これらを網羅できている人間は誰ひとりとしていないからだ。

多動傾向、ロングスリーパー、癇癪持ちだけが「多様性」のすべてなんかじゃない。まして性別、恋愛対象、生まれた国とその文化、普段つかっている言語、信仰する宗教、支持する政党の違いを受け入れることだけが「多様性を認める」なんかじゃない。世界中すべての人間のすべてのアイデンティティをここに書き切ろうとしてもそれができないのは、アイデンティティは無限に存在するから。世界人口は数えることができても、アイデンティティは数えられない。対象をたったひとりに絞っても同じことだ。

それを「多様性」なんてたった三文字に押し込んだ上、「認める」なんて、簡単に言ってくれる。……そもそも、隣のクラスの”無個性”さを否定的に見ている時点で、母自身が「多様性を認める」ことができていないではないか。”無個性”だって、そのひとを形成する立派なアイデンティティのひとつなのに。

母がなぜ突然「多様性」に興味を持ち始めたのか分からない。文科省から、あるいは教育委員会から「多様性を認める」ことも教育方針の中に取り込めとでも言われたのだろうか。……もし、母親自身が、教え子たちには目の前の相手がどんな人間であろうと認められるような心優しい人間になってほしい、あわよくば社会から差別がなくなってほしいという願いから「多様性」ということばにたどり着いたのなら、(教員免許を持たないわたしが意見することは許されないだろうが)生徒たちにはまず、人間は「多様性を認める」ことはできない、人間は他者のアイデンティティを認めることはできないということを教えるべきだと思うのだ。

魔女狩りホロコーストに……生まれた国と時代が違うといえど、わたしたちと同じ人間という種族が犯した差別と迫害の歴史の延長線上を、いま、生きている。…伸び続けるその線をどこかでぷっつりとちょん切ってしまうことができないままに。人間が人間を、からかい、なぶり、あげく殺してやろうと思い至るのは、単なる快楽以前に、「違い」に対する警戒、嫌悪、畏怖、その感情を拭い去る方法を考えた結果だと、勝手に想像してる。差別と迫害をしない、言い換えたら、出会うすべての人間がどんな人物であろうと、またその相手と自分の「違い」がどんなものであろうと押しなべて受け入れる、なんて命知らずなこと誰ができるだろう。

特定の人間を、特定の「違い」を、嫌悪することは仕方が無い。そうやってわたしたちは危険予知能力を働かせて、目の前の相手がヤベェ奴かどうかを判断することだってある。誰もすべての人間に優しくなんてできない。博愛主義者になんてなれない。極論すれば、もしかしたら差別しない、迫害しない、「多様性を認める」なんてことは、そもそも人間に向かないことなのではないだろうか。

だからと言ってわたしは差別も迫害も肯定しているわけじゃない。わたしが言いたいのは、人間は「多様性を認める」ことができるなんて夢物語は捨てて、人間の本質として差別・迫害しないことがにできない(差別したくなる気持ちを捨てることができない)ゆえに「多様性を認める」こともできないということを受け入れるべき。人間という種族の特徴でもある、わたしたちの中の”「違い」に対する嫌悪”と向き合い、どう処理をしていくか。「違い」を前にした時にむくむくと湧いてくる、相手を目の前から排除したい、という感情をコントロールする方法を考えることこそが、差別・迫害のない世界という幻想郷にほんの少しだけでも近づくことのできる、唯一の方法に違いない。……はず。

押しなべて相手の「多様性を認める」なんてのは甘すぎる。せいぜいどうしても許容できない「違い」の壁にぶつかって、自分の中に湧いて出た嫌悪の感情すら「多様性」のひとつと捉えるとして受け入れることができなければ、自分を「認める」こともできなくなって、悶々と生きていたらいい。

 

 

 

 

 

母へ。わたしはちいさい頃から、あなたは、実の娘であるはずのわたしより、自分の教え子にばかりつきっきりであるように見えて、子ども心に嫉妬していた。ほんとのところ、それはいまでも変わらない。だからこそわたしは、あなたから貰ったもの、あなたが他の子どものところにいてもわたしのそばから一時も離れることの無かったもの、――わたしの”名前”に、いつもあなたのぬくもりを感じ取っていた。

わたしの名前には「藍」がつく。これは江戸の終わりに備前藩で起きた被差別部落者による「渋染一揆」から由来すると、あなたが教えてくれた。「藍」の意味するところは、単に延々と深い海の色だけじゃなく、差別に立ち向かった被差別部落者の身にまとっていた着物の色、まさしく勇気と象徴する色だったのだと。

だからこそ、名付け親でもあるあなたが、差別と迫害、「違い」を嫌悪する人間の本質を、「藍」をまとった彼らの思いを、どうしても軽んじてほしくないのだ。

あなたがわたしを名付けてくれた、その時と同じだけの愛を(わたしは貰うばかりでこれっぽっちも返すことのできないでいる愛を)、願いを(答えられないままでいるあなたの期待を)、どうかわたしたちよりずっと先の未来を生きるあなたの教え子に、与えてあげてくれないだろうか。